- 創業
- フロンティアゆえの苦難
- 時代を見通す目—自動車販売への進出と業界の発展を支えて
- モータリーゼーションの到来と品川グループの構築
- 第三の創業
- 第四の創業 —(株)品川グループ本社の設立と100周年
Ⅳ.モータリーゼーションの到来と品川グループの構築
-
1950年
品川グループ、富山交通の株式100%取得
-
1951年
品川石油、三菱石油(株)の富山県総代理店に
-
1954年
品川グループ、富山産業大博覧会に「トヨタダイハツ館」を出展
-
1955年
品川自動車販売株式会社(本社:東京)設立
-
1956年
富山トヨペット株式会社設立
-
1967年
株式会社トヨタレンタカーサービス富山(現、株式会社トヨタレン タリース富山)設立
千歳商事株式会社設立 -
1968年
トヨタオート富山株式会社(現、ネッツトヨタ富山株式会社)設立
-
1969年
M.ミシュランとタイヤの輸入販売代理店契約
-
1971年
富山トヨタ自動車、IBMシステム/3モデル10導入
-
1979年
トヨタビスタ富山株式会社(現、ネッツトヨタノヴェルとやま株式会社)設立
富山トヨタ自動車、富山トヨペット、トヨタオート富山間、オンライン開始 -
1980年
富山トヨタ自動車、QC導入
-
1984年
トヨタ部品富山共販株式会社設立
-
1986年
富山トヨタフォークリフト株式会社(現、トヨタL&F富山株式会社) 設立
-
1988年
品川親友会バドミントンクラブS.S.TOYOTA発足
-
1990年
株式会社トコシー設立
中田交通を買収し、富タク大沢野交通(株)に改称 -
1991年
品川グループ厚生年金基金設立
1950年 富山交通(株)営業を再開
空襲ですべてのクルマを失ったタクシー事業も1950年、富山交通(株)が営業を再開した。
1954年 時代を見通したトヨタダイハツ館
富山市の復興完成を告げる富山産業大博覧会が、4月から約2カ月間、富山城址公園を中心に開催され、電源富山と工業の興隆を内外にアピールした。品川グループはこの博覧会場に独自のパビリオン「トヨタダイハツ館」を出展し、大型ダンプトラック、トヨペット・クラウン、ダイハツ三輪車、タイヤなどを展示し、モータリゼーションの到来を予言した。
期間中約74万人が訪れたこの博覧会に向けて、富山市では国鉄(現、JR)富山駅、富山県営球場、富山市公会堂、富山市庁舎が完成。総曲輪通りや中央通りのアーケードやネオン、主要道路の拡張・舗装の整備も進展、博覧会は大きな経済効果をもたらすとともに、復興からの完全復活を実感させた。
1956年 富山トヨペット(株)設立
1955年1月にトヨタ自動車が、わが国初の本格的乗用車トヨペット・クラウン、トヨペット・マスターを発表。自家用車市場が急速に拡大し、トヨタ自動車は小型乗用車普及のため、1956年、「トヨタ店」に次ぐ新たなチャンネル「トヨペット店」を新設。富山県では、品川グループが富山地方鉄道と共同出資による富山トヨペット(株)を設立して、トヨエースとトヨペット・マスターラインの販売を開始した。
1958年 品川石油(株)(現、(株)品川グループ本社、品川商事カンパニー)設立
トヨペット店の設立を機に品川グループは、それまでもっていた三菱自動車の富山県代理店の権利を譲渡し、三菱グループのガソリン事業(三菱石油)だけを継承し、1958年品川石油(株)を設立して富山給油所を開設した。
トヨタ自動車は1957年、国産乗用車としては画期的な新機軸を盛り込みながら、当時の最低価格で話題を呼んだ小型乗用車コロナを、また1960年にはモータリゼーションの呼び水にもなったパブリカ(パブリック・カー)を発売し、1962年にはトヨタ系列では三つ目のチャンネルとなるパブリカ富山(株)(現、トヨタカローラ富山(株))が、富山トヨタ自動車と富山トヨペットが資本参画して設立された。
1959年 富山ダイハツ販売への移行
1932年に品川自動車商会を改組した品川自動車株式会社は、戦前、クライスラー社のダッヂブラザーズやプリムスの販売、その後日産自動車の特約販売店となったが、戦後の1946年に発動機製造(株)(1951年ダイハツ工業)と富山県総代理店契約を締結してダイハツの三輪トラックを販売してきた。1959年にはダイハツ工業の販売網再構築に伴って社名を富山ダイハツ販売(株)に改称し、1970年に富山市田中町に本社社屋を建設すると、1972年にかけて高岡、魚津、八尾、砺波に営業所を開設するとともに、協力販売店網を構築していった。
1967年 県内トヨタ販売店各社との出資で、(株)トヨタレンタカーサービス富山(現、(株)トヨタレンタリース富山)を設立。レンタカーと修理サービス付きのメンテナンスリース事業に進出
高度経済成長の進展に伴って産業構造の高度化や人々のライフスタイル・価値観の変化が進むなか、常に時代の変化に適応し、お客さまにより豊かなカーライフを提供するため、品川グループはさまざまな事業領域にそのウイングを拡大していった。
1971年 県内4番目のコンピュータ導入
富山トヨタ自動車にシステム開発室が誕生したのは、昭和44年。同46年にはIBMシステム/3モデル10を導入して品川グループをオンラインで結ぶ情報ネットワークを構築した。コンピュータシステムの導入は、北陸電力(株)、(株)北陸銀行、不二越(株)に次いで県内4番目。以後、つねに最新のシステムインフラ、ネットワークの導入に努め、経営の近代化を推し進めてきている。
1986年 富山トヨタフォークリフト(株)(現、トヨタエルアンドエフ富山(株))を設立
高度経済成長の進展に伴って産業構造の高度化や人々のライフスタイル・価値観の変化が進むなか、常に時代の変化に適応し、お客さまにより豊かなカーライフを提供するため、品川グループはさまざまな事業領域にそのウイングを拡大していった。
1991年 品川グループ厚生年金基金(現、品川グループ企業年金基金)設立
1991年度でグループ企業は、富山トヨタ自動車、富山ダイハツ販売、富山トヨペット、トヨタビスタ富山のディーラー4社に、山室トヨタ重機、富山トヨタフォークリフト、トヨタレンタリース富山、品川商事、トコシー、千歳商事、そして富山交通の7社、計11社、従業員は1800人を超えた。各社はそれぞれ業界のリーディングカンパニーに成長を遂げる一方、それぞれ独自の企業文化を形成していた。各社それぞれに役員を除いた従業員振興会が結成され、グループ全体としては品川親友会が会員の共済親睦、福利厚生を目的に結婚祝い金のほか各種事業を行っていた。
1991年4月1日、この品川親友会に加えて、グループ各社のすべての社員が公平に等しく充実した福利厚生の恩恵を受けることができるようにするため、厚生省(現、厚生労働省)の指導を受けて品川グループ厚生年金基金を設立した。自動車ディーラーでは全国でも初めてだった。2004年には本来国で運営されるべき厚生年金基金の代行部分を返上し、品川グループ企業年金基金が発足、これによって勤続15年以上の加入員は、退職金を年金形式で受け取ることが可能になった。
- ◂ 前のページ
- 1
- 2
- 3
- 4
- 5
- 6
- 次のページ ▸